REVIEWER:
A.E.
MAJOR:
日本文学(森鴎外、夏目礎石や大江健三郎など)と欧米文学(シュテファン・ツヴァイク、カフカ、ゲーテ、シェイクスピアやウンベルト・エーコなど)をはじめ、日本の思想、美術、芸術、建築、歴史にも興味を持つ。
◆REVIEW NUMBER: 2012-XV-004
◆INFORMATION:
Edmund de Waal, Der Hase mit den Bernsteinaugen - Das verborgene Erbe der Familie Ephrussi,
Übersetzt von Brigitte Hilzensauer, Paul Zsolnay Verlag, 2011 (原著: The Hare with Amber Eyes: A Hidden Inheritance, Farrar, Straus and Giroux, 2010).
◆ エドマンド・ドゥ・ヴァール(Edmund de Waal)
陶芸家。大英帝国勲章受章。ウェストミンスター大学教授。1964年、英国ノッティンガム生まれ。五歳より陶芸をはじめ、バーナード・リーチの弟子の工房で学ぶ。ケンブリッジ大学トリニティ・ホール・コレッジで英文学の学位を優等で取得後、陶芸家としての道を歩み始める。1991年には大和英日基金を得て来日して、陶芸と日本語を学ぶ。1993年に帰国後はロンドンに拠点を構え、アングロ・オリエンタルスタイルの作品を数々発表。高い評価を得る。現在は、他の芸術家とのコラボレーションによるインスタレーションも評判を呼んでいる。日本の根付をキーワードに自らの一族の歴史を綴った本書は、2010年に発表された。 《エコノミスト》《サンデータイムズ》両紙およびコスタ賞のブック・オブ・ザ・イヤー、さらには王立文学協会オンダーチェ賞に輝き、40万部のセールスを記録。英国に一大センセーションを巻き起こした。(日本語版翻訳・佐々田雅子訳『琥珀の眼の兎』(早川書房、2011年)扉より)
◆ 陶芸家の技法
2011年の10月だったろうか、新聞かどこかで、エドマンド・ドゥ・ヴァールの『琥珀の眼の兎』のドイツ語版についてのレビューを読み、興味を持った。今、それをやっと手に入れることができた。この本には、19世紀・20世紀のヨーロッパのいくつもの都市で富を極め たユダヤ系の一族、エフルッシ家のことが書かれている。作者のドゥ・ヴァールはその一族の末裔である。私はもともと、ヨーロッパのユダヤ人の生活と、19世紀から20世紀前半のヨーロッパの雰囲気に深く関心があった。それだけではなく、日本の芸術と美学の話も出てくる。こちらも私には興味深かった。 ドゥ・ヴァール自身は、いわゆる小説家ではなく、陶芸家である。陶芸家の言葉で、普通の小説家ではあまり語ることのできない根付とジャポニズムについて、 ドゥ・ヴァールは語る。ドゥ・ヴァールには、自分の目で観察した根付を、読者自身がちょうど自分の手で持っているように感じさせるほどに、語りの才能がある。
ドゥ・ヴァールは陶芸家なので、普段は、言葉を小説家のようには使わないのだと思うが、「手で物を触る」ときの気持ちが彼の仕事を支える重要な点なので、 兎の根付以外に根付の写真が一切付いていない本を読んでも読者は根付がどんな様子をしているか想像できるようになっていて、さらに根付が説明された文章を 読んだら、その瞬間、自分の手に根付を取って、目で見て、表面を指で優しく触って、指で小さな切れ目や磨耗も感じられて、ということができるようになっている。 ドゥ・ヴァールの語り方は、『昨日の世界』という作品などでの、オーストリア人作家シュテファン・ツヴァイクと似ている。ツヴァイクがいつも、大変細かい点を詳しく書き、小さなディテールまで調べて分析するように、ドゥ・ヴァールは自分の一族と根付の歴史を詳細に記述する。
◆ 一世紀をかけたユダヤ系一族と根付の移動
『琥珀の眼の兎』という、あるユダヤ系の一族と、その一族が所有していた根付をめぐる物語は、四つの部分に分かれている。第一部は、19世紀のパリを舞台に始まる。現在はウクライナ領であるオデッサという黒海沿岸の都市で、穀物貿易によって金持ちになったエフルッシ家は、19世紀後半、パリとウィーンに銀行を開く。物語は1871年から1899年にかけて、パリ・エフルッシ家の一人の人物から始まる。オデッサで生まれウィーンに育ち、パリで活躍したシャルル・エフルッシ(1849-1905)という美術収集家と美術評論家の生活が描かれる。(エフルッシ一族の男性の場合、同名の人物が多く登場する。この本の冒頭にはこの一族のオデッサ時代から現在までの系譜が載っており、これは役に立った。)
シャルルが暮らした時代のパリではジャポニスムという美術潮流が流行し、パリに住む金持ちの人びとのサロンには、必ずと言っていいほど日本から輸入された 美術品が並べられ、大切にされた。こうした雰囲気のパリで美術品好きのシャルルはある日、ちょうど日本から届いたばかりの264個の根付を手に入れる。 シャルルは彼のサロンに遊びに来た作家や画家に根付を見せ、根付は手に手に取られみんなに触られて、話の中心になった。
ドゥ・ヴァールは、根付だけではなく、当時のパリのインテリや金持ちの暮らしの雰囲気や考え方、文学、美術作品、モードなども詳しく調べて伝える。 シャルルは根付を豪華なガラス戸棚に入れていた。
ある日シャルルは、なぜだかは解らないが、ウィーンに住む従弟のヴィクトール(1860-1945)の結婚式のために、264個の根付すべてをプレゼントとして送る。ガラス戸棚まるごと。こうして、根付はウィーンに来ることになる。
第2部は、1899-1938年のウィーンが舞台となる。ウィーンに暮らすエフルッシ家と新しくウィーンに引っ越してきた根付の物語となる。ヴィク トール・エフルッシは美術には興味があったが、リング大通りを挟んでウィーン大学の斜め向かいに建つ「パレ・エフルッシ」には、264個の根付にふさわしい置き場所はなかなか見つからなかった。結局根付はすべて妻のエミーの化粧部屋に置かれた。夫人の化粧部屋だったので、パレ・エフルッシのサロンやパー ティに訪れる客たちの目に触れたり、手に取られたりということは全くなかった。しかし、母親が服を着替える時に一緒に化粧部屋に入る子供たちは違った。美 しい母親が綺麗な服に着替えるのを見ながら、子供たちは根付をおもちゃのようにして遊び、小さな根付のためにたくさんのお話を作った。
根付とふだん遊んでいた子供たちの中の、エリザベートという長女が、この本の著者ドゥ・ヴァールを可愛がった祖母だった。この物語において、エリザベート は重要な役目を持っている。彼女の部屋から見えていたウィーン大学では、当時まだ女性は学生になりにくかったのだが、エリザベートはここに入り、卒業する ことになる。外国の大学でも勉強を続け、ついに博士号を取得し弁護士になった。
『琥珀の眼の兎』 日本語版
第三部でも、弁護士となりイギリスに移ったエリザベートがふたたび大事な役を担う。第三部は、「ウィーン・ケヴェチェシュ・タンブリッジウェルズ・ ウィーン、1938-1947」というタイトルで、老夫婦ヴィクトールとエミーの、ナチス・ドイツからの逃避行が描かれる。現在はスロヴァキア領になっているケヴェチェシュという場所には、ウィーン・エフルッシ家の夏の別荘があった。1938年、オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、二人は全財産とパレ・エフルッシを失い、なんとか最後の所持金で、まだ安全と思われていたケヴェチェシュに逃げた。娘のエリザベートは親を安全なイギ リスへ行かせようと懸命に努力した。彼女自身はオランダ国籍を取っていたので割合安全に活動できたのだ。しかし父のヴィクトールが、オーストリアを愛していたためロシア国籍を捨てオーストリアの国籍となっていたことが問題となる。1938年の併合の結果、オーストリアという国は消滅し、オーストリアのユダ ヤ人は国籍を失ってしまう。無国籍のため、国外に出るのは困難で、ナチス・ドイツ政府もユダヤ人が国を出るために、様々な「税金」(Reichsfluchtsteuer)を課した。
すべてを失いやっとケヴェチェシュに辿り着いたヴィクトールとエミーの夫妻だったが、戦争の影響はケヴェチェシュにまでおよび、その場所も安全ではないと気づきはじめたエリザベートは、両親をやはりイギリスに行かせようとふたたび奮闘する。ところが、母親のエミーが苦しみの末に自殺をしてしまう。エリザベートは、弁護士としての知識を生かし、なんとかして70歳を超える父ヴィクトールをイギリス、タンブリッジウェルズに連れ出すことに成功する。 戦後、エリザベートは一人でウィーンに戻り、家族の財産と家がどうなったかを調査する。弁護士だけではなく詩人でもあったエリザベートは、この時、小説のための原稿を残している。これは結局出版されていないが、ドゥ・ヴァールが当時のウィーンの雰囲気を知るのに役立った。戦争で被害を受けたウィーンの道々を歩いたエリザベートは、パレ・エフルッシがアメリカ占領軍本部のオフィスとして使われていることを知る。戦時中すでに彼女の家はナチス・ドイツの官憲に 接収されており、家にあったすべての絵、銀食器、蔵書、美術品、ゴブラン織りなどの金目の品々は、ナチスによって他の場所へ運ばれ、所在が不明になっていた。
ところが、その家にまだ一人の老婦が住み続けていることをエリザベートはアメリカ軍の係官から知らされる。エリザベートは、アンナという昔の家政婦と出会 うことになる。アンナはユダヤ人ではなかったのでナチスからの迫害を受けなかった。ナチスがパレ・エフルッシの財産を盗んだ時、アンナがその荷造りをさせられた。エフルッシ家のために何を守れるかとアンナは悩み、一番小さくて、ナチスが興味を示さなかった根付を数個ずつポケットに入れ、毎日エミーの化粧部屋から自分の部屋へと運び、部屋のマットレスに縫い込んで隠し、そのマットレスの上に寝た。 このようにして、264個の根付はすべて戦争を生き残り、ふたたびエフルッシ家のものになった。エリザベートは家族の財産を返して取り戻したかったが、 264個の根付を入れたスーツケースのみでイギリスに帰った。ある日、第二次世界戦争前にアメリカに渡り、アメリカ国籍を取得していた弟イグナーツが姉エリザベートの元を訪れる。「仕事で、日本かアフリカに行くチャンスがあるが、どちらもあまり気が進まない」。イグナーツがそう話すと、エリザベートは弟に根付を見せる。イグナーツはウィーンの幼少時代とその根付で遊んだことを思い出し、日本に行く決心をする。
兎の根付
◆ 小さな根付の長い物語
イグナーツが死ぬとスギモトが根付をいったん相続したが、スギモトが「私が死んだら、あなたのものになって欲しい」ということをイグナーツの葬式の後でドゥ・ヴァールに言い、遺言にも書いた。
スギモトは現在も東京に住んでいるが、数年前にドゥ・ヴァールが根付をイギリスに持ち帰り、『琥珀の眼の兎』を書き始めた。2011年の10月には、 ドゥ・ヴァールがパレ・エフルッシで『琥珀の眼の兎』の出版記念パーティを行い、スギモトもウィーンを訪れる。ドゥ・ヴァールが根付をイギリスまで持ち帰ったことに対して、「日本のものは日本においておくべきだ」という批判の声もあったと、ドゥ・ヴァールは書いている。しかし、264個の根付は日本から 19世紀のパリへ、さらに20世紀のウィーンを通って、戦後の日本へと届いたものである。根付は、本来移動する性質を持っている。煙草入れの飾りなどに使われた根付は、今でいう携帯ストラップのようなものだ。根付は「移動する」ものとして、今度はイギリスへと渡ることも、自然なことではないだろうか。19 世紀ウィーンで小さなエリザベートとイグナーツが遊んだように、現在ではドゥ・ヴァールの3人の子供たちが、21世紀のイギリスで、根付をおもちゃにして可愛がり遊んでいる。根付は日本由来の物である。その根付が、エフルッシ家とその家族たちの移動と共に様々な冒険を生き残って、世界中を駆けめぐった。いつの日にかドゥ・ヴァールの子供たちが根付と一緒に違う国へと行き、さらにその子供が根付と遊ぶなどとということを読者として想像するのは愉快である。
私が久しぶりにものすごく興味深く、感動する本を読めたのは、ドゥ・ヴァールの書き方のおかげだと言える。プロの小説家ではないが「歴史家」の綿密さで自分の家族と根付の話を調べ、それを芸術家の言葉で伝える。19世紀から21世紀のヨーロッパと日本、美術、芸術、思想、恋愛、家族、ファッションなどが結び合わされ、その中心に根付がある。時には、「根付の話はどこに行ったかな?!」と思うこともあるが、そう思った次の瞬間には、根付や根付と関係のある話が出てくる。エフルッシ家の人びとの人生がメインになってはいるが、背景にはいつも根付の存在が感じられ、適所で表に浮かび上がってくる。
ウィーンにてパレ・エフルッシ
一度しかパリに行ったことのない私も、パリについての文章をとても楽しく読んだ。しかし、かつてよく知ったウィーンの部分が始まると、そわそわと浮き腰になり、自分の目でパレ・エフルッシを見に走り出したくなった。ウィーンにあるエフルッシ家のパレの説明が始まると、ただ見るだけではなく、根付の場合にそうであったように、それを「手で触れる」感じが大切なような気がした。その説明を読んだとき私は、自分の手でその建物の石造りの柱や壁に触れたかった。パレ・エフルッシはウィーン大学のすぐ前にあるので私も何度となく前を通っていた。現在、その建物の一階には色々な店が入っていて、中のパン屋でパンを買ったり、銀行でお金を引き出したり、本屋で友だちのための誕生日カードを買ったりした。建物の前で友だちと待ち合わせたりもした。しかしこれまで、大 きな文字で「カジノ・オーストリア」と書いてある建物に、誰が住んでいたのか、どんな話があるのかということについて、意識したことも考えたこともなかった。
パレ・エフルッシに限らず、いまも毎日人々は、パリで、ウィーンで、東京で、いくつもの建物の前を通りすぎる。しかし、誰がそこに住んでいたのかということについて考えられることは少ないと思う。そのこと自体は残念なことだと思う。しかし、ドゥ・ヴァールの『琥珀の眼の兎』のおかげで、少なくとも私は、パ レ・エフルッシの、またそこに暮らした一家の、その一家の人々とあちらこちらへ移動した美しい根付の物語を読むことが出来たのである。
◆REVIEW NUMBER: 2012-XV-003
◆INFORMATION:
Doris Dörrie(監督)、2008年、 MGM Home Entertainment GmbH、122分、言語:ドイツ語 (Dolby Digital 5.1), 字幕:ドイツ語、Dolby PAL Widescreen.
◆Doris Dörrie (ドリス・デリエ)
1955年5月22日ハノーファー生まれ。ドイツの作家、監督、映画制作者。
ハノーファーの女子高校(Sophienschule Hannover)を卒業した後に、1973年からおよそ2年間カリフォルニア州ストックトンにあるパシフィック大学演劇学部で学び、ニューヨークのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ(The New School for Social Research)卒業。
1975年ドイツに帰国し、HHF München (ミュンヘンのテレビ・映画専門学校)にて学ぶ。様々なテレビ局で働くかたわら、Süddeutsche Zeitung(南ドイツ新聞)で映画評論を執筆し、ドキュメンタリ映画も制作した。
◆代表作品:
映画:Männer(男たち、1985年)、Ich und Er(私と彼、1988年)など。
オペラ:Cosi fan tutte(コジ・ファン・トゥッテ、2001年、ベルリン国立歌劇場)、Turandot(トゥーランドット 、2003年、 ベルリン国立歌劇場)、Rigoletto(リゴレット 、2005年、バイエルン国立歌劇場)など。
小説:Bin ich schön?(私は綺麗ですか?、1994年、Ernst-Hoferichter賞受賞)、Das blaue Kleid(青いワンピース、2002年)、Alles inklusive(オールインクルーシブ、2011年)などがある
◆あらすじ
ドイツの田舎に暮らす夫婦Rudi(ルーディ)とTrudi(トゥルーディ)。
ある日妻のトゥルーディは、夫ルーディが末期癌でありもうすぐ死ぬかもしれないということを夫の主治医に告げられる。トゥルーディが夫や子供たちにそのことを伝えることができないままルーディとトゥルーディはベルリンに住む娘夫婦と孫を訪れる。その後バルト海をバカンスで訪れたとき、妻のトゥルーディが急死する。それまでゆったりとした調子で進んでいた日常生活は急激に変化し、夫のルーディは、これまで自分がずっとトゥルーディの夢や希望などを無視して理解しようとしなかったということに気づき、とても悲しくなる。トゥルーディはダンスが大好きだった。ダンスといっても普通のダンスではなく、日本の「暗黒舞踏」〔土方巽や大野一雄が中心になって創始した前衛芸術。欧米には熱狂的なファンを持つ。※筆者註〕が好きだったのだが、ルーディはこれを毛嫌いしていたのだった。
亡くなった妻が舞踏をダンスする写真や彼女が愛着したキモノを見つけたルーディは、すべての貯金を持って日本への旅に出る。日本には、息子のクラウスが仕事で滞在しているのだ。ところがクラウスは父の訪問をまったく喜ばない。彼は、父親が、ただの面倒な、少し変わったおじさんになってしまったのだと思う。息子に面倒をかけないように一人で東京をあちこち散歩していたルーディは、ある日井の頭公園でひとりの若い日本人女性と出遭う。ユウという名前の彼女は、この公園でトゥルーディが大好きだった暗黒舞踏を踊っていたのだ。仲良くなったユウにルーディは、暗黒舞踏を教わることになる。
ルーディは、亡くなった妻トゥルーディのために富士山を見ながら暗黒舞踏を踊りたいので、ユウと一緒に富士山の麓にある旅館に泊まる。しかし連日曇りつづきでルーディは富士山を見ることができない。何日かを無駄にしたある夜、ルーディの身体の調子が悪くなる。翌日、夜明け前に目を覚ましたルーディは、舞踏の衣裳を着て化粧をし、旅館の近くの湖に行き、はっきりと見える富士山を目の前にして、トゥルーディと一緒に暗黒舞踏を踊る。
次の朝、ユウがいなくなったルーディを探しに行き、湖のほとりで彼の死体を見つける。旅館の部屋には、ユウに宛てた手紙とルーディの所持金のすべてが残されていた。
東京に戻ったユウは、クラウスとルーディの葬儀を行なう。日本式の葬式なので、クラウスが困惑する。クラウスはルーディの骨壷と一緒にドイツへ帰国し、もう一度葬式をおこなう。そして日本から持ってきたルーディの骨壷を、トゥルーディの骨壷の隣に埋める。
◆評価
「あらすじ」を読んでいただいて分かるように、"Hanami - Kirschblüten"(このレビューでは以下『花見』とする) という映画は、ドイツで持たれている日本のイメージやステレオタイプを、恋愛、死と哀悼の話と結んでいる。
この映画では、色がとても大事に使われていた。特に、日本で撮影されたシーンにおける色遣いは印象的で、外国人にとって「日本っぽい」ところである。さらには例えば公園の桜の花の色そのものだけではなく、カメラ・アングルとズームが日本の桜の美しさを見せるために駆使されている。
ただ日本が好きである人や綺麗な映像が好きな人のためにだけではなく、この作品を監督デリエは、愛する人を失った人や死への哀悼という気持ちと戦っている人のために製作したのだという気もする。そのために、この映画を見ながら感動に耐えられずに涙を流してしまう場面が多いかもしれないが、即物的な視線から見れば批判するところも多い。観客が批判的に映画を観ようとしてもそれができなくて困ってしまうほどこの作品には「泣かせる」シーンが豊富なのだが、私がこのレビューで取り上げるのは、この作品に見られるキッチュとステレオタイプである。
この映画の舞台は二つに分けられる。冒頭から妻トゥルーディの葬式まではドイツが舞台になっており、後半は「日本」が舞台となる。私は『花見』を三度見たのだが、最後の三度目を見る一週間前に、たまたま小津安二郎の『東京物語』を観る機会があった。『東京物語』を観た後でドリス・デリエの『花見』を観たとき、非常に驚かされた。『花見』の前半の一時間ほど(トゥルーディの葬式が終わるまでのシーン)は、まったく登場人物たち会話の細部までが小津の『東京物語』と同じなのである。
偶然とはいえないほど同じである。台詞だけではなくて、すべてのセッティングが『東京物語』の戦後の日本から、そのまま『花見』の今日のドイツへ移動したかのようである。家族の構成では、年取った田舎住まいの夫婦には離れて暮らす子供三人と孫が二人いる。大都市に住んでいる子供に会いに行くと、誰もあまり二人にかまう時間もやる気もなく、孫も祖父母には興味がない。二人が自分たちの部屋に泊まるので困っているだけである。ただ、親戚ではないのだが、レスビアンである娘の彼女が『東京物語』で原節子が演じる紀子と同じような役回りになる。彼女はトゥルーディと一緒に暗黒舞踏の実演を見に行ったりする。会話は、特にトゥルーディの葬式の後の食事会の場面で『東京物語』とまったく同じように見える。娘は母親のキモノを欲しがり、父親は独立した人間でないので母親ではなく父親が死んだほうがよかったのではないか等々という会話はほぼ同一で驚いた。
「ドイツパート」が終わると、『花見』は『東京物語』から離れて少し独立した映画になる印象を与える。そして私がむしろ問題的であると思うのは、後半の「日本パート」で描かれるステレオタイプとキッチュに包まれた日本の像である。年取った夫婦の恋愛、別れ、相手の死を弔うというこの映画の要素だけをとってもキッチュはいたるところに見つけられるが、日本への憧れ、日本のイメージがキッチュとステレオタイプの原因になっている。
もちろん、この映画では、日本についてあまり詳しく知らない一般のドイツ人、あるいは欧米人にとっての「ニホン」というイメージが完璧に描き出されているのかもしれない(咲き誇る桜の木々、真っ青な空を背景にした富士山、煌々ときらめく歌舞伎町のネオンサイン、そのネオンサインに照らされてはまた暗闇に消えてゆく街角の売春婦など)。映画のタイトル(『花見・桜の花』)から主役の死のシーンに至るまで、観客は存分に「ザ・ニホン」というメッセージを受け取ることができる。
例えば、キッチュといえば、ルーディがコートの下にトゥルーディの婦人服(カットソー、スカートと真珠のネックレス)を着て、桜の花の下で、トゥルーディに桜を見せるためにコートを開く。
ルーディが死んだときにはトゥルーディの幻影が現れ、やっとドーンと姿を現した富士山のふもとで夫婦が一緒になってダンスするというシーンは、審美的な要素を見るか、やはりキッチュなのか、それとも悲劇的な要素か、観客の視点によって変わるかもしれない。
上に書いた通り、鮮やかな色が目立ち、カメラアングルと色の使い方ですべての日本はなんとなくアリスの不思議の国みたいにみえるような気がする(この映画では、日本の社会問題も映し出されるのが、そのシーンにおいてもホームレスのブルーテントの色が鮮やかである)。
ステレオタイプの方でも、色々な例を挙げたいと思う。先ず、ルーディが一人で新宿の歌舞伎町をうろうろしているときに、ソープランドの呼び込みに遭って風俗嬢二人と一緒にお風呂に入り、結婚指輪を見た瞬間に悲しくなってお風呂を飛び出すというシーンがある。このシーンで、愛してる奥さんが亡くなったばかりの男の気持ちを良く現すかどうかはよく分からないが、このシーンを日本を研究する者の目から見れば、「とにかくただ日本の性風俗の映像を使いたかったかな」ということが頭に浮かんだ。
ドリス・デリエは何を考えたのだろう。日本は、綺麗な桜だけじゃなく、風俗のようなものもあるのだと発表したかったのだろうか。あるいは、欧米で日本人が変態だとする言説の多さから、なんとなくエッチなシーンも使いたかったのだろうか。
作品のタイトルになっているのだから、花見そのものも登場するべきである。やはり、そのシーンもある。息子クラウスの会社が上野公園で、ブルーシートで花見をやり、酒を飲み、酔っ払って、騒いでいる。このシーンは、日本人も結構抱いている「騒ぐ欧米人・外人」のステレオタイプを描いていると感じた。だが、花見とは誰でも騒ぐイベントであるから、ドイツの観客が想像した「静かな・禅的な花見」(そうなら、「ザ・ニホン」か)ではなく、うるさくて、お酒が結構流れる春のイベントである。ソープランドのシーンと違って、ステレオタイプも抱きながらも、映画のストーリー(花見の説明)のために見せなければならないシーンだと感じた。
◆結論【キッチュとステレオタイプに包まれた素敵な恋愛話】
作品の前半は現代ドイツに場所を移した『東京物語』であり、後半は「ザ・ニホン」に関連するステレオタイプやキッチュを持ちながらも、一般のドイツや欧米の観客にとって、日本の素晴らしい映像を見せつつ、年取った夫婦の感動的な恋愛話が描かれている。
もちろんこの作品は、日本についてのドキュメンタリーではないので、ステレオタイプはある程度まで出てくるとは思う。ただ、ソープランドのシーンは映画の流れや話と全然関係ないと感じた。
これらのことが日本人の観客にとってどう映るのか想像するのは難しいが、「ザ・ニホン」を見せつけられて困惑することもおそらくあるのかもしれない。
私自身が少しがっかりしたことは、前半の構成と展開が小津安二郎の『東京物語』とまったく同じであるということ。それを知らずに二度見たときまでは「なかなかいい映画だなあ」という感想を持ったが、今になってみれば、私が当時「いいなあ」として見ていた要素は、だいたい『東京物語』にすでにあるのだ。